UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2018-04-23
背負うもの
白川 遼
東大ホッケー部では公式戦に出る予定のメンバーのことを「代表」、それ以外のプレーヤーのことを「育成」と呼んでいるが、Bullions2018から代表チームの一員としてやってきて、この言葉の重みを最近強く感じる。
僕たちは実に多くの存在を「代表」して試合に出場している。
まずは当たり前だが、育成のプレーヤーたち。
代表と育成が切磋琢磨することでチームとしてのレベルが上がると思うし、試合に出るために全力で一回一回の練習に打ち込む姿勢は僕を含め多くの代表の選手に刺激を与えているはずだ。
リーグ戦期間中の今、みんな試合に出れない悔しさを押し殺してチームのために分析や荷物運びなど負担のある仕事を率先してやってくれている。
そして、スタッフ。
タイムキープやボトル管理、ビデオ撮影などは地味かもしれないけど、確実に練習の質を高めている。
実際にプレーはしなくても、「勝ちたい」という思いは共有している。
さらに、OBのみなさん。
そもそもいま自分たちが戦っている一部という舞台はBullions2017の先輩方が残してくれたものだし、プレスやビルドアップなどの戦術や練習メニューの多くは代々の先輩方が考えたものを引き継いでいる。
人工芝という恵まれた環境でホッケーができるのもOBの方々のおかげだ。
以上に加えて、部員の保護者や友人、恋人(?)などたくさんの人が東大ホッケー部になんらかの形で関わることでその勝率を高めていて、東大が別の学校と対戦するときには僕たちだけではなくこの人たちを含めた全員で戦っているという風に信じている。
いわゆる、「総力戦」てやつだ。
だが、その人たちの想いや努力を体現し、実らせることができるのは、実際にピッチ上に立つ人間、つまり「代表」の選手たちだけだ。
端的にいえば、ピッチ上の選手の活躍によって勝利、あるいはいい結果がもたらされればその人たちは報われるし、そうでなければ報われない。
昨シーズンの入替戦後の数日間、チームとして目標を達成した満足感半分、試合に出れなかった悔しさ半分で駒場をうろついていると、学科や語学のクラスの友達によく声をかけられた。
「一部昇格したんだって?」「すごいじゃん!」「おめでとう!」
僕はその度に、特に「まあ俺は出てないけどね」とか前置きをすることもなく、素直に「ありがとう」と感謝の意を述べた。
不思議なことに、試合に出れなかったという事実はどこかに押しやられ、なんとなく自分は頑張ったのかなと認められた気がして、純粋に喜ぶことができたのである。
当時の「代表」が必死の思いで練習して学習院に勝利してくれたからこそ、僕は今でもホッケーが大好きで練習に打ち込んでいるが、もし負けていたら、なんのためにホッケーをやっていたのだろうと絶望していたかもしれない。
それくらい、「代表」のプレーは多くの人の想いに対する責任がある。
さて、今の「代表」はというと、早稲田、明治相手に0-3、0-5と連敗しており、僕たちが代表している人たちの共通の目標である「一部校に勝つ」ことはまだできていない。
でも、リーグ戦はまだまだ始まったばかりだし、これからの試合の方が勝つ可能性が高いことは明らかだ。
今度こそ、チームがゴールを決めた時の高揚感を味わいたい。
今度こそ、勝利の喜びに酔いしれたい。
そして、「東大ホッケー部に関われてよかった」とみんなで笑い合いたい。
そのためにこれからの試合、最後の1秒まで考え続け、走り切る。