UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2019-10-04
終着点
磯田 知輝
私はこの雑感というものが嫌いで、毎回お茶を濁してきた。というのも、自分語りしちゃう人間をずっとバカにして生きてきたし、自分をさらけ出すのもなんだか照れくさかった。しかし、部活生活4年間あるいは主務としての1年間を通してこの雑感というものの意義もわかってきたし、これが最後の雑感なので、正面から自分と向かい合って雑感を書いてみようと思う。
引退までもう幾何もない中、この4年間を振り返ると、入部した時の理想とは程遠いものである。選手の多くは試合で活躍することあるいは勝利することを夢見て入部するわけで、自分もその例外ではなかった。そのため、試合にも出ることの叶わぬ現状ではお世辞にも理想通りとは言えないだろう。
だがそれでも理想に近づこうと前向きに取り組んできたつもりだ。最高学年となった時には、ホッケー人生の集大成として必ず理想を叶えてやると改めて決意を新たにした。相変わらず膝の様子を伺いながらではあったが、離脱が長かった分ホッケーをできる瞬間は最高に楽しかったし、活動できる期間が限られているならば誰よりも高い成長率を持ってやろうと意気込んでいた。その甲斐あってか、徐々に自分の武器のようなものも見えてきて、伸び代もさらに感じられるようになった。そしてますますホッケーが楽しくなってきた。
———親指を粉砕骨折したのは、ちょうどそんなときだった。
ボールが当たり、完治まで半年から1年、要手術。病院でCT写真を見ながら医者の説明を聞いている最中、選手生命が終わっていくのを感じた。病院内で選手生命を終えるのはどうしても嫌で、少し足掻いてみた。だが、運動が許されるようになってからも指は曲がらないしプレー一つ一つが骨に響くし、正直引退までに完全復帰できる気がしなかった。当然、選手としての道を諦めることを何度も考えた。幸いBullionsには選手以外の道もたくさん用意されているし、本人の意思を尊重し真剣に向き合ってくれる環境であることもよく知っていた。それに、選手としてよりも他の道を選んだほうがチームのためになるだろう。
しかし、どうしても選手としての道を諦められなかった。それほどに芝の上はまばゆく、痛いほど焦がれる場所であった。
再来週に手術を控え、抜糸までの日数も考慮するとプレーできるのは長くともあと3週間程度だと思う。ほんのわずかな期間ではあるが、最後まで選手として足掻いていく。それが自分の望む道であり、4年間の締めくくりとしてふさわしいものだと思うから。
誇りを持って、芝の上で選手生命を終える。