UNIVERSITY OF TOKYO HOCKEY TEAM
東京大学運動会ホッケー部
Est. 1925
2021-10-10
二つの景色
内海 武憲
この雑感の締切は金曜日までで、今は金曜深夜の1時をちょっと過ぎたくらい。木曜にはだいたい形になった原稿みたいなのは出来ていたけれど、全部消して今また一から書き始めている(担当の園田ごめん)。
元々の原稿ではスタッフになってから自分が前向きになれた事みたいなの何個かあげて、これからも頑張りますみたいな事を書いていた。
でも、今日の、部活をこなして、自主練の時間に佐近にクソみたいなシュート打って、家に帰って動画上げてっていう自分の一連の流れを客観視してみたら、全然ポジティブには捉えられなくて、書いている事違うなって思って今に至る。
もちろんスタッフという立場になったから良かった事はたくさん挙げられる。
例えば当初書いていた物を一つ挙げると、他人の良いところを素直に受け入れられるようになった事。
選手の立場だった頃は、他人の良いところも成長も、自分の将来を閉ざすもののような気がして受け入れる事が出来なかった。ずっと一緒にリハビリとか言って筋トレしていた牧野が復帰した時は心では全く祝福出来なかったし、部員の良いところも素直に見られずに粗探しばっかりして自分はまだいけると思い込もうとしていた。
でも、スタッフになって、周りと自分を比べる必要がなくなってからは、他人の良いところばっかりが見えてくるようになった。それまでずっと向き合ってきた自分自身が情け無さすぎるから尚更。プレーが上手くなっているとかはもちろんだけど、練習中の引っ張る声かけとか、もっと直感的なところで言えば表情とか、他にもこいつちゃんとありがとうって言ってくれるようになったなとか。
部員の成長を一番間近で見られるようになって、それを素直に受け入れる事ができる立場になったことは美しいことのように思えた。
他人の成長に嫉妬していた時期のおかげで誰よりも他人の変化に敏感になれたというのもあるから、自分のダメだった時期が肯定されるような気がしてちょっと素敵だななんて思ったりもしていた。
でもそういう自分の内面的な変化にいくらフォーカスして肯定したところで、目の前にいる部員たちのプレーとか頑張りを見ていると、超えられない壁みたいなものを見せつけられて、いかに自分がちっぽけなものにすがっているかを痛感させられるし、自分だけプレー出来ていないモヤモヤとか悔しさを超えるほどのものは得られていない。
ウォリアーズの人が研究室に押し付けていったウォリアーズのパンフレット内のヘッドコーチ挨拶に、部活によって得られる人間的な成長は、上を見た努力によって得られる副次的なもので、それにフォーカスすれば遠ざかってしまう、といったような表現があった。
本当にその通りだと思うし、選手としての立場からある意味逃げて外から見る側になって、その美しさを知って満足しようとしていた自分は何段階も下の存在なんだなって事を思い知る。
自分がこの部活に入った動機はホッケーという競技に魅せられたっていうのが大半で、そもそも成長したいみたいなのは持っていなかった。だから今の自分は部活に入ったときの初心の軸を失っているわけで、その時々で自分に都合のいいストーリーにすがってここまでごまかしてきた。
最近は研究もちゃんとやって部活も行っている自分偉い!みたいなものにすがっていたけれど、頑張る事自体が目的化してしまっている自分に気づいてくだらなく思えてしまった。
木曜に書いたことを金曜に全部消すくらいにはぶれぶれで、何のために部活に入っているのかみたいな事もスタッフになるにあたってきちんと設定したつもりだったけれど、正直それもよく分からなくなってしまった。
こんな体たらくだから、同期なり後輩なりがプレーを通じて一皮剥けていく瞬間を見る度に、自分の失ったものの大きさにしんどくなって、どうしても目を背けたくなってしまう。部活のしかも最上級生としてはあまりにしょうもないなって思う。
高校の時に怪我したとこがずっとダメなのはある程度仕方ないことだとか、元々膝の形的に痛めやすくて運動には向いてないだとか、通院もリハビリも含めやれる事は一通りやっただとか。
自分がプレーできない事に頭の中では納得しているし、ちゃんと諦めて割り切ったつもりではいる。
つもりではいるけれど、自分が今までに費やしてきた時間、身体、精神的なリソースが足りていないとはそんなに思っていないから、なんで自分だけこうもうまくいかないんだろうって思ってしまう。今年の代であれば”普通に”プレー出来ていればある程度試合にも出られただろうなって思ってしまうから尚更。
最近自分がホッケープレーしている夢を見て、朝起きてやっぱ膝痛くてあーあって落ち込む、みたいなことが多い。
この期に及んで心の中のどこかで今の自分を受け入れられてないままで、本当はプレーしてまともな存在になっているパラレルワールドみたいな物を思い描いていて、いつかそっちに戻れるんじゃないかみたいな期待をしてしまう自分がいる。
こうやって色々と書いているときにも色んな感情が浮かんでは消え、書いては消してを繰り返している。ここまでしんどい思いばっかして続けてきた部活においてですら自分に確固たる軸がない事に悲しくなる。
でも自分の中で部活に入ってから今まで絶対に変わってないなっていうものが辛うじて二つある。
ホッケーという競技自体へのワクワク感と同期への感謝の気持ちだ。
どんなにホッケー周りで嫌な思いをしても初めてホッケーを見た時の高揚は変わらないし、ある程度理解が深まって尚更強くなっている。一部とかオリンピック選手のプレーをみると心躍る。同期への思いは恥ずかしいから言葉には残さないけれど、多分周りが思っているよりは何倍も感謝している。
その二つだけ考えるのであれば、今の自分はホッケーという競技に携われているし、スタッフになったことである程度感謝の気持ちを示せているのかなって一応思える。
当初の目標みたいなものを考えればこんなので満足していいのかって気持ちにはなるけれど、あと二ヶ月弱、変に斜に構えたりせずにちゃんとやっていけばもっと見える景色とかも変わってくるのかなって信じて、ちっぽけなやりがいにすがっていければ良いのかなって、所詮はアイロニカルな没入なのかもしれないけれども今はそう思うことにした。